余命間近の母が「今の現実」を受け入れて得た最大のストレス緩和【理由:過去の自分と比べない】
病気や老いによって、今までできていたことができなくなる。それは本人にとって、とても怖くて受け入れがたい現実です。
「オムツなんて絶対に嫌だ」「この薬を飲むと吐くから飲みたくない」と、現実を否定してしまう家族と向き合い、頭を抱えている方も多いのではないでしょうか?
この記事では、余命間近の私の母が、自分の弱った姿や恐怖と向き合い、少しずつ「今の自分」を受け入れていった実体験をお話しします。
過去の自分と比べず「ありのままの現実」を受け入れることが、結果的に本人のストレスをどれほど軽くするのか。そして、私たち家族が共倒れしないための「リアルな備え」についてお伝えします。
【セカンドオピニオンとオムツ】母が「現実」を受け入れた瞬間
人は、自分の状態が悪くなっていることをすぐには認められません。母も最初は、今の状況を必死に否定していました。
先生への不信感が「納得」に変わった日(2025年7月)
2025年の7月、母はセカンドオピニオン(別の医師の意見を聞くこと)に行きました。
理由は、当時の行きつけの先生に対する「不信感」でした。
私から客観的に見れば、その先生は誠実に対応してくれていました。ただ、言い方が少しストレートで、母にとっては「寄り添ってくれていない」と感じてしまったのです。「あの先生はダメだ」と、母は現実から目を背けていました。
しかし、セカンドオピニオン先の先生が「やり方は違えど、行き着くところは一緒ですよ」と、行きつけの先生の言葉を代弁し、なぜその結果になるのかを丁寧に説明してくれました。そこでようやく、母は深く納得したのです。 別の先生の口から説明されることで、母は初めて自分の病状という「現実」を受け入れることができました。
その時の母の心境や、セカンドオピニオンに至るまでの詳しい経緯はこちらで話しています。
» 【母の心】下半身の痺れと息苦しさ。家族としてどう向き合うか
プライドより「漏れるリスク」を取ったオムツの決断
もう一つ、母にとって大きな壁だったのが「オムツ」です。 母は人目をとても気にする性格で、自分の弱った姿を近しい人にも絶対に見られたくないという強い思いがありました。
しかし、実際にトイレが間に合わず、粗相(おもらし)をしてしまうことが起きました。
その時、母の中で「人の目が恥ずかしい」というプライドと「また漏らしてしまうかもしれない危険性」を天秤にかけたのです。結果、母は漏れの危険性を防ぐために、オムツを受け入れてくれました。
「オムツを履く=情けない」と否定するのではなく「今の自分にはこれが必要だ」と受け入れたことで、母自身の「間に合わなかったらどうしよう」という精神的なストレスは大きく減ったのです。
「薬=吐く」という脳の拒絶をどう乗り越えたか
体だけでなく「脳」が現実を受け入れるのを拒否してしまうこともあります。それが、薬と食事の問題でした。
トラウマで水も食事も喉を通らない日々
母は一度、薬を飲んでから食事をした後に吐いてしまったことがありました。それがキッカケで「この薬を飲むと吐いてしまう」と脳が強烈に記憶し、薬を拒絶するようになったのです。
体がどれだけ栄養を必要としていても、脳が「危険だ」と拒否し出すと、体全体が食べ物を受け付けなくなります。
食事量は激減し、1日の水分摂取量も1リットルを下回る危険な状態になってしまいました。
「吐いてもいい」と認めることで進む小さな一歩
そこで私は、無理に食べさせるのではなく、脳の拒絶を解くために語りかけました。
「今はこういう症状が出てるけど、徐々に体に耐性ができてくるよ」
「固形物が無理なら、栄養の高いゼリーやフルーツ系の飲み物にしてみようか」
脳が少しずつ現実を受け入れ始めたタイミングで「ちょっとトーストを食べてみる?」「コーヒーを飲んでみる?」と試す機会を増やしました。そして何より「吐いてもいいから、食べてみよう」と伝えたのです。
「吐いてはいけない」というプレッシャーから解放され「吐いてもいいんだ(そういう状態なんだ)」と今の自分を受け入れたことで、母は再び食べ物を口にできるようになりました。

一方で、最初のタイミングで吐いた記憶が強すぎて脳から体に「飲むな!」と指令を出す予期性嘔吐(よきせいおうと)の状態でもありましたので、そこは注意しながら在宅サービスの先生の問診をしながら行いました。

たまた知り合いが来て「この錠剤は劇薬だよ!」って言う、悪いものだ〜って言われたこともあったので、そういう情報だけを鵜呑みにさせないことの対処も必要だね。
最悪の事態に「備える」ことが、家族の心を守る
病気を受け入れるのは本人にとって過酷な作業ですが、それを支える家族にとっても、現実は非常に厳しいものです。
50〜60代が陥る「まだ大丈夫」という罠
私の父と母は、健康診断も受けず「まだ大丈夫」「保険はもっと後でいい」と目を背け続けてきました。しかし、現実は残酷です。
最悪のケースは「両親同時に、余命宣告と介護状態」という、最も恐ろしいカードとして出揃いました。
「自分だけは大丈夫」と今の状況から目を背け、対策を先延ばしにするのは、後になって自分と家族の首を激しく絞めることになります。
介護離職の危機を救った「保険」というお守り
私がこの状況下でもパニックにならず、両親と向き合えている理由は2つ。
1つ目は父がかけていた保険を利用できたからです。 がん保険や生活サポートの保険が同時に下り、二重で保険金を受け取れたことは、息子の立場として本当にありがたいことでした。
なぜなら、私は介護のために仕事をストップしている身です。もし保険がなければ、生活基盤が完全に崩壊し、母に「吐いてもいいよ」と優しく声をかける心の余裕すらなくなっていたでしょう。
だからこそ、思考停止して「まだいいや」と後回しにするのは危険です。いざという時に自分と家族を守るために、今のうちからプロに相談し、生活の備えをしておくことを強くおすすめします。
▼ 家族が倒れてからでは遅い。私が実感した「本当に役立つ備え」の相談はこちら(無料)
» 介護離職を防ぐ保険や生活の備えについてプロに相談してみる
※前回の記事「思考停止した父の末路」でもお伝えしましたが、この備えがあるかないかで、本当に人生の難易度が変わります。
2つ目は「最悪を想定して、事前の備えをしている」からです。
自分自身を客観的に考えて、どこまでならできるのか?
どの部分はできないのかを線引きして自己理解していました。この時点で焦っていたり普段より冷静じゃないかもしれない人は「メンタルケアサービス」をして一度、気持ちを整えてください。
逆に冷静だけど、今後どうしようかと考えている方は私が提供している「思考整理・言語化」を手伝っていますので、参考にしてください。
まとめ:過去と比べず「今の自分」を受け入れる
母の姿を見ていて確信した、この記事の最も大切な本質。
それは「自分自身の現実を受け入れることが、最大のストレス緩和になる」ということです。
「昔はもっと食べられたのに」
「オムツなんて恥ずかしい」
過去の元気だった自分と比較し、今の自分を否定し続ける限り、心はずっと苦しいままです。
大切なのは、相手の今の状態を否定せず、天秤にかけて「今はここまではできるね」と割り切っていくこと。
私は普段から「頭の中を言語化して自己理解を深める」というサポートをしていますが、これも根本は同じです。
「本当の自分」から目を背けず、受け入れることでしか、人は前に進めません。
▼ 自分自身と向き合い、現実を受け入れる「言語化」のヒントはこちら

病気であっても、健康であっても「今の自分を受け入れる強さ」を持つことが、心を軽くして穏やかに生きるための第一歩なのです。

